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地球のプレートと大地震 [地形・地質]

2016.4.3放送のNHKスペシャル「巨大災害 地震列島日本 見えてきた新たなリスク」から

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地球は十数枚のプレートに覆われていると言われてきたが、京都大学・西村卓也准教授によれば、日本列島は上のようなブロックに分かれているという。そして、ブロックの境界では大地震が発生する可能性があると。私は中央構造線とフォッサマグナ等に関心を持っていたがそれどころではない。

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このように表現されるとインパクトが強い。 

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ハーバード大学のブレンダン・ミード教授も同様の見解を示している(グレーの線はブロックの境界;P.202-209, Seismological Research Letters Vol.86, No.1 Jan/Feb 2015から)。こうした知見は世界各地に設置されたGPSによる変位観測網によるもので、これまでのプレートの説明は乏しいデータを根拠とするものだったと。 

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熊本地震はこの放送4月3日直後とも言える、4月14-16日に起こった。上図は3日の同番組によるもので、ブロック境界と過去の地震の震源の分布を表している。右上に「次はどこ」の文字が見える。

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ミード教授によれば、プレートは細分化されており、サンフランシスコの大地震もブロック境界上で起こった。2008年の四川大地震も境界上である(上図×印)。今まで活断層の上は危ないと言われてきたが、ブロック境界との関係はどうなっているのだろうか? 

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現在言われている世界のプレート:日本原子力研究開発機構サイトより 


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熊本地震と中央構造線(2) [地形・地質]

4月に熊本地震と中央構造線の関係がどうなんだろうかと記したが、5月13日付で産総研・地質調査総合センターから見解が発表されていた。

http://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html

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上図は上記サイトより 

 「九州には中央構造線はない」というものである。中央構造線とは、西南日本で地質が大きく異なる境の断層 のことである。断層は「面」であり、その面が地表に現れると「断層線」となる、「線」は日本列島の長い活動の痕跡、「古傷」である。中央構造線活断層系とは厳然と区別しなければならない。専門家でも混同が見られるとのこと。

上空から「線」として見えるかどうか、断層の出来方によるのだろう。 。

地震後の調査で活断層もいろいろ分かってきたようだ。 


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京浜東北線の崖 [地形・地質]

崖・京浜東北線ssss.jpg
 (カシミール3D使用) 
濃いグレーの部分は標高1~3mである。縄文時代の内、 約6500~6000年前が海面上昇のピークで現在よりも約3m高かった(芳賀啓「江戸の崖 東京の崖」)。つまり、京浜東北線等が南北に走る(地図で太く描かれている線路は新幹線)この台地の端は海岸、海食崖であった。
勝浦の海岸.jpg  波に洗われる崖のイメージ(上の写真は千葉勝浦付近の海岸。奥東京湾がこのようであったかは知らない)
 
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  鶯谷駅南から南側を望む。右手が上野の山、左手奥は浅草。
 
赤羽駅北の崖.jpg  赤羽駅北の崖。駅付近から北を望む。
 
赤羽台トンネル入口s.jpg 
 東京の台地北東端となる赤羽台。新幹線のトンネル入口。
 

非対称な神田川 [地形・地質]

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面影橋から江戸川橋付近(Tokyo Terrain on the Google map)。図上方の神田川左岸(北側)は等高線が詰んでいる。崖である。一方、右岸(南側)はなだらかである、何故非対称なのか、とは地形好きの間で話題になってきた。新しい話ではないのだが、実際に歩いてみたり、こうして段彩図を見ると改めてうなってしまう。江戸川公園付近の等高線は上が30m、下が8mなので、高低差22mである(等高線の間隔は2m)。
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神田川左岸・江戸川公園にある看板
 

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神田川の断面図(早稲田大学地理学研究会blogより) 
 
非対称は他の川にも見られるが、この辺りは顕著である。原因としては:
・ 右岸側の早稲田大学本部キャンパス付近には関東ローム層をのせる低い段丘があるためそう見える(「月刊地図中心」2014.8久保純子)。
・ 左岸側は南向きで陽があたりやすく、冬の昼夜の寒暖差が大きくなり浸食されやすい(早稲田大学地理学研究会記事 geo-waseda.blogspot.jp/2015/04/2015416.html で挙げられた内の一つ)。
などが挙げられている。 
 
うーん、どちらも本当のように思える・・ 
 

1級スリバチ・荒木町 [スリバチ]

スリバチを語る以上、「スリバチの聖地・荒木町」は避けて通れない。これほど見事な、かつ文化的(花街的?)香りの高いスリバチは知らない。 正に1級スリバチである。

荒木町現在・地形.jpg 

1級スリバチは自然にはできない。湧き水があり、周囲が削られると3方が囲まれる2級スリバチになる。上図右(Tokyo Terrain on the Google earth)では北東(右上)側で流れを堰き止めたダムが見て取れる。 

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江戸時代は松平摂津之守の上屋敷だった。屋敷東側の坂は津の守坂と呼ばれている。右は明治16年のもの。この頃から池のほとりは景勝地となり、料亭が軒を連ねた。 

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スリバチの底の策(むち)の池は 小さくなってしまった。傍らに弁天様が祀られている。

仲坂上S.jpg 底に下りる坂は6つ、車が通れるのは1つしかなく、5つは階段である。その1つ、仲坂から池の方を見下ろす。

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石だたみの坂上「とんかつすず新」の鈴木さんは町興しにも一所懸命である。自らスリバチを展示なさっている。ここのかつ丼はおいしい。 新宿通りから車力門通りを入り突き当りにある。


等々力渓谷 [地形・地質]

5月とはいえ、アスファルトの上は汗ばむほどであったが、渓谷に入ると嘘のように涼しい。極楽である。

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今回は地層観察に行った。 

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貝塚爽平「東京の自然史」より。

ここは都内では珍しく 地層が観察できる。

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不動の滝。もはや滝とは言えないほどか細いがU字型の樋から水が流れ出ている。水が湧きだしているのは水を透しにくい下の東京粘土層とその上の礫層との間ということである。 しかし上の層は黒っぽくてよく見えない。

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ここ、少し上流では、礫層が見える。(こんな礫が雨あられと降ってきたことがあったのだ。おそろしい!)その上が関東ローム層だろう。模式図では武蔵野ローム層の上に立川ローム層が堆積しているが、そこまでは見ても分からない。両者が区別されたのはそれらの間に火山灰堆積の休止期ないし堆積速度の小さい時期があったのと、武蔵野ローム層には割れ目が多いことによるという。

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上は等々力でなく、関東ローム層が見える意外な場所、曙橋の下(南西)である。上記「東京の自然史」によれば、近所の新宿角筈で、上から表土・埋没土が0.5m、立川ローム層が約3m、武蔵野ローム層が約2.5mである。 写真で見えている範囲が約3mなので、表土の下は立川ローム層ということになるが、途中で色が変わっている。私には解釈不能。ここは靖国通り・かつての紅葉川の河岸なので盛土はしていないと思うのだが・・

それはそうと、不動の滝、か細いのが気になる。ここは修行場 であったというのだが打たれるほどの水量はなかった。ここ矢沢川は国分寺崖線の南端になり、水脈の一部にあたるのに心配である。都内の湧水は枯れてしまったものがまことに多い。

 ともあれ、東京23区内にこうした別天地があること、それを保護、維持してくれている方々に感謝したい。

 


江古田/エコダかエゴタか [雑感]

「えごた」か「えこだ」か、たびたびの話題だが・・。中野区では江古田一丁目から四丁目まで「えごた」である。一方、練馬区にある西武池袋線の駅は「えこだ」であり、近辺の店やマンションの名も「Ekoda」がかぶされている。この駅は、大正11年、武蔵高校開校により仮停留所として開設、翌年武蔵野鉄道江古田駅となる。

問題は、この時何故「えこだ」になったのかだが、当時、中野区も含めてどちらも呼ばれていたのではないか。

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明治42年の地図を見ると中野区江古田に当たるところには江古田本村、古戦場の江古田原があり、その北に上板橋村江古田新田が見える(地図の上端)。明治の地図なので江古田駅はまだない。

本家・江古田村は室町時代にはすでにあったと言われる(北条役帳に「長禄元年(1457)年太田道灌始めて此地を江戸荘と為し、即ち阿佐ヶ谷、江古田、沼袋、十条云々」とある)。

一方、江古田新田は、堀野家文書の寛永八年申(1668)の年貢割付に「庄左エ門組、江古田新田」として現れ、開発は慶安五年(1652)と考えられている。(何れも、昭和47年刊堀野良之助「江古田のつれづれ」より)

本家が「えごた」なのに、新田に出来た駅を「えこだ」としたなら、こちらが罪作りかもしれない。

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江古田通りは目白通りを越えると読みが変わる。中野区側はEgota-dori、練馬区側はEkoda-dori 

1997年、都営12号線(現大江戸線)に新江古田駅ができた。この読みをどうするか、興味があった。「えこだ」駅があって、新だから「しんえこだ」でよい筈。しかし、当駅は中野区にあるので「しんえごた」になった。中野区としては「江古田」にしたかったところかも・・・ 

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江古田の地名の由来は、田のふちにえごの木が生えていたからという説が有力だが定かではないらしい。

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花の咲いた5月のえごの木。江古田の森公園整備の際に植えられたものだ。


タグ:江古田 地名

下仁田ジオパークにて [地形・地質]

2016年1月、下仁田ジオパークに行く。この山々が元はこの地に無く、スライドしてきて、浸食されてこうなったのだと聞き、びっくり。跡倉クリッペ(Klippe;独語・岩礁)というそうだ。大地のエネルギーの巨大さ、悠久の地球の歴史の中で我々が暮らす時間の何と短いことか、を改めて思う。

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神縄(かんなわ)断層 [地形・地質]

 ここは、フィリピン海プレートに乗った伊豆半島(元は小さな島々だった)が本州に衝突した現場だという。2015年6月に訪れた。 izugeopark.org/izugeomain/ 

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↑ ここがその「衝突現場」。右が伊豆半島側、左が本州側 。

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伊豆半島の成り立ち(伊豆半島ジオパーク izugeopark.org/izugeomain/ より) 伊豆半島が火山だらけなのも、うなづける。丹沢は東京から近いのでよく登ったが、この衝突のお蔭でできたのだという。

(2017.8.16追記)しかし、 フィリピン海プレートは北西への移動をそれ以前から続けていた。100万年ほど前の伊豆半島の衝突と同様に、丹沢山地は500万年前に、さらに富士山の北にある御坂山地は900万年前頃に本州に衝突して日本列島に付加し、その一部になっていったと考えられている(山崎晴雄、久保純子「日本列島100万年史」より)。・・奥が深いのだ。

 


ウズベキスタンの塩害 [雑感]

 2016年4月、ウォーキングの仲間とウズベキスタンに行った。NHKの喜太郎・石坂浩二「シルクロード」でサマルカンドなどはあこがれの地であった。壮大な青の建造物と青空は素晴らしかった。土地の人々もおだやかで親日的で心地よい旅だった。

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写真はマサケイさんのHP tabi-1604.m884.com から。再転載も出典記載して下さい。 

しかし、私は不勉強にして知らなかったのだが、農業国なのに農地の塩害に苦しんでいるのを目の当たりにしてショックを受けた。 ソ連時代の無計画な灌漑が原因だという。アラル海に入る2本の川は灌漑に利用され、湖底は干上がった。岩塩の層が出来つつあるような状態なので塩分混じりの砂が飛散するのだ。日本も協力して塩抜きの対策中だが先は長い。

 
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 jiid.or.jpより 塩で覆われたコムギ圃場。バスで移動中も至る所で雪の降り始めのように白いものが浮いた畑を目にした。
 
 
 


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