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故人からの手紙 [雑感]

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  つい先ごろ亡くなられたから方からお手紙が届いた。誰も煩わせたくないと、最後はホスピスで過ごされていたそうだが、生前にお手紙もご準備なさっていたのだ。封書の宛書もご本人自筆で、お嬢さんからの添え書きが同封されていた。あまりにも見事な旅立ちの仕方に感激した。お手本にしたいが、自分ではどこまでできるやら・・。故人のご冥福を祈ります。

タグ:手紙 終活
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江古田/エコダかエゴタか [雑感]

「えごた」か「えこだ」か、たびたびの話題だが・・。中野区では江古田一丁目から四丁目まで「えごた」である。一方、練馬区にある西武池袋線の駅は「えこだ」であり、近辺の店やマンションの名も「Ekoda」がかぶされている。この駅は、大正11年、武蔵高校開校により仮停留所として開設、翌年武蔵野鉄道江古田駅となる。

問題は、この時何故「えこだ」になったのかだが、当時、中野区も含めてどちらも呼ばれていたのではないか。

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明治42年の地図を見ると中野区江古田に当たるところには江古田本村、古戦場の江古田原があり、その北に上板橋村江古田新田が見える(地図の上端)。明治の地図なので江古田駅はまだない。

本家・江古田村は室町時代にはすでにあったと言われる(北条役帳に「長禄元年(1457)年太田道灌始めて此地を江戸荘と為し、即ち阿佐ヶ谷、江古田、沼袋、十条云々」とある)。

一方、江古田新田は、堀野家文書の寛永八年申(1668)の年貢割付に「庄左エ門組、江古田新田」として現れ、開発は慶安五年(1652)と考えられている。(何れも、昭和47年刊堀野良之助「江古田のつれづれ」より)

本家が「えごた」なのに、新田に出来た駅を「えこだ」としたなら、こちらが罪作りかもしれない。

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江古田通りは目白通りを越えると読みが変わる。中野区側はEgota-dori、練馬区側はEkoda-dori 

1997年、都営12号線(現大江戸線)に新江古田駅ができた。この読みをどうするか、興味があった。「えこだ」駅があって、新だから「しんえこだ」でよい筈。しかし、当駅は中野区にあるので「しんえごた」になった。中野区としては「江古田」にしたかったところかも・・・ 

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江古田の地名の由来は、田のふちにえごの木が生えていたからという説が有力だが定かではないらしい。

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花の咲いた5月のえごの木。江古田の森公園整備の際に植えられたものだ。


タグ:江古田 地名

ウズベキスタンの塩害 [雑感]

 2016年4月、ウォーキングの仲間とウズベキスタンに行った。NHKの喜太郎・石坂浩二「シルクロード」でサマルカンドなどはあこがれの地であった。壮大な青の建造物と青空は素晴らしかった。土地の人々もおだやかで親日的で心地よい旅だった。

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写真はマサケイさんのHP tabi-1604.m884.com から。再転載も出典記載して下さい。 

しかし、私は不勉強にして知らなかったのだが、農業国なのに農地の塩害に苦しんでいるのを目の当たりにしてショックを受けた。 ソ連時代の無計画な灌漑が原因だという。アラル海に入る2本の川は灌漑に利用され、湖底は干上がった。岩塩の層が出来つつあるような状態なので塩分混じりの砂が飛散するのだ。日本も協力して塩抜きの対策中だが先は長い。

 
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 jiid.or.jpより 塩で覆われたコムギ圃場。バスで移動中も至る所で雪の降り始めのように白いものが浮いた畑を目にした。
 
 
 


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