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千川上水 [川・川跡]

 千川上水・明治17map_s.jpg

千川上水 明治17年 平成17年練馬区教育委員会発行「千川上水」表紙より

将軍綱吉の元禄9年(1696)に開削された江戸の上水である。左端が玉川の取水口、中央の少し右、ほぼ直角に左折するところが今の練馬区と豊島区の境になる。千川上水跡の内、練馬区上石神井から区内を横断して 豊島区との境で左に曲がる辺りまで「千川通」と呼ばれているので分かり易い。

千川上水map_s.jpg 

武蔵境駅の北、境橋付近の取水口から、練馬区、中山道板橋宿、 北区滝野川などを経て掘割の豊島区立「千川上水公園」までたどることができる。そこから先は樋であった。

江戸上水道総図.jpg 

江戸上水総図(「月刊地図中心」399号山下和正氏記事より;千川上水の図と上下が逆になっている)。千川上水は中央やや右のところから左下に向かい、小石川御殿、湯島聖堂、東叡山などに給水していた。この上水開削の第一目的は徳川家の由緒ある御殿への給水であった。

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 しかし、御府内の水事情では、上水を求めていたのは、徳川御殿だけではなく、小石川、本郷など城北に給水するようになった。この道は一部清戸道とも重なっていた。

 千川家文書.jpg

さらに開通から11年後の宝永4年(1707)上水沿い二十ヶ村の農民たちの願いで灌漑用水として利用することが許された。千川通の案内板には恩恵を受けた田は百町歩(100ヘクタール)に及んだと記されている。上は千川家文書の一部。分水をさせてもらうと、使用料を払わねばならなかったんだな。

PAP_0079.JPG
 
上記地図でたびたび登場する、流れが南東から北東にほぼ直角に左折する場所がここ、現南長崎6丁目交差点である。 流れは画面左から来て、ジョナサンの駐車場の前を左方向に行く。この交差点の右奥の角は籾山牧場であった。
 都道439号線起点.jpg
この交差点は都道439号線=千川通りの起点でもあるのだ。 

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