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等々力渓谷 [地形・地質]

5月とはいえ、アスファルトの上は汗ばむほどであったが、渓谷に入ると嘘のように涼しい。極楽である。

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今回は地層観察に行った。 

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貝塚爽平「東京の自然史」より。

ここは都内では珍しく 地層が観察できる。

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不動の滝。もはや滝とは言えないほどか細いがU字型の樋から水が流れ出ている。水が湧きだしているのは水を透しにくい下の東京粘土層とその上の礫層との間ということである。 しかし上の層は黒っぽくてよく見えない。

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ここ、少し上流では、礫層が見える。(こんな礫が雨あられと降ってきたことがあったのだ。おそろしい!)その上が関東ローム層だろう。模式図では武蔵野ローム層の上に立川ローム層が堆積しているが、そこまでは見ても分からない。両者が区別されたのはそれらの間に火山灰堆積の休止期ないし堆積速度の小さい時期があったのと、武蔵野ローム層には割れ目が多いことによるという。

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上は等々力でなく、関東ローム層が見える意外な場所、曙橋の下(南西)である。上記「東京の自然史」によれば、近所の新宿角筈で、上から表土・埋没土が0.5m、立川ローム層が約3m、武蔵野ローム層が約2.5mである。 写真で見えている範囲が約3mなので、表土の下は立川ローム層ということになるが、途中で色が変わっている。私には解釈不能。ここは靖国通り・かつての紅葉川の河岸なので盛土はしていないと思うのだが・・

それはそうと、不動の滝、か細いのが気になる。ここは修行場 であったというのだが打たれるほどの水量はなかった。ここ矢沢川は国分寺崖線の南端になり、水脈の一部にあたるのに心配である。都内の湧水は枯れてしまったものがまことに多い。

 ともあれ、東京23区内にこうした別天地があること、それを保護、維持してくれている方々に感謝したい。

 


江古田/エコダかエゴタか [雑感]

「えごた」か「えこだ」か、たびたびの話題だが・・。中野区では江古田一丁目から四丁目まで「えごた」である。一方、練馬区にある西武池袋線の駅は「えこだ」であり、近辺の店やマンションの名も「Ekoda」がかぶされている。この駅は、大正11年、武蔵高校開校により仮停留所として開設、翌年武蔵野鉄道江古田駅となる。

問題は、この時何故「えこだ」になったのかだが、当時、中野区も含めてどちらも呼ばれていたのではないか。

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明治42年の地図を見ると中野区江古田に当たるところには江古田本村、古戦場の江古田原があり、その北に上板橋村江古田新田が見える(地図の上端)。明治の地図なので江古田駅はまだない。

本家・江古田村は室町時代にはすでにあったと言われる(北条役帳に「長禄元年(1457)年太田道灌始めて此地を江戸荘と為し、即ち阿佐ヶ谷、江古田、沼袋、十条云々」とある)。

一方、江古田新田は、堀野家文書の寛永八年申(1668)の年貢割付に「庄左エ門組、江古田新田」として現れ、開発は慶安五年(1652)と考えられている。(何れも、昭和47年刊堀野良之助「江古田のつれづれ」より)

本家が「えごた」なのに、新田に出来た駅を「えこだ」としたなら、こちらが罪作りかもしれない。

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江古田通りは目白通りを越えると読みが変わる。中野区側はEgota-dori、練馬区側はEkoda-dori 

1997年、都営12号線(現大江戸線)に新江古田駅ができた。この読みをどうするか、興味があった。「えこだ」駅があって、新だから「しんえこだ」でよい筈。しかし、当駅は中野区にあるので「しんえごた」になった。中野区としては「江古田」にしたかったところかも・・・ 

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江古田の地名の由来は、田のふちにえごの木が生えていたからという説が有力だが定かではないらしい。

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花の咲いた5月のえごの木。江古田の森公園整備の際に植えられたものだ。


タグ:江古田 地名

下仁田ジオパークにて [地形・地質]

2016年1月、下仁田ジオパークに行く。この山々が元はこの地に無く、スライドしてきて、浸食されてこうなったのだと聞き、びっくり。跡倉クリッペ(Klippe;独語・岩礁)というそうだ。大地のエネルギーの巨大さ、悠久の地球の歴史の中で我々が暮らす時間の何と短いことか、を改めて思う。

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神縄(かんなわ)断層 [地形・地質]

 ここは、フィリピン海プレートに乗った伊豆半島(元は小さな島々だった)が本州に衝突した現場だという。2015年6月に訪れた。 izugeopark.org/izugeomain/ 

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↑ ここがその「衝突現場」。右が伊豆半島側、左が本州側 。

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伊豆半島の成り立ち(伊豆半島ジオパーク izugeopark.org/izugeomain/ より) 伊豆半島が火山だらけなのも、うなづける。丹沢は東京から近いのでよく登ったが、この衝突のお蔭でできたのだという。

(2017.8.16追記)しかし、 フィリピン海プレートは北西への移動をそれ以前から続けていた。100万年ほど前の伊豆半島の衝突と同様に、丹沢山地は500万年前に、さらに富士山の北にある御坂山地は900万年前頃に本州に衝突して日本列島に付加し、その一部になっていったと考えられている(山崎晴雄、久保純子「日本列島100万年史」より)。・・奥が深いのだ。

 


ウズベキスタンの塩害 [雑感]

 2016年4月、ウォーキングの仲間とウズベキスタンに行った。NHKの喜太郎・石坂浩二「シルクロード」でサマルカンドなどはあこがれの地であった。壮大な青の建造物と青空は素晴らしかった。土地の人々もおだやかで親日的で心地よい旅だった。

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写真はマサケイさんのHP tabi-1604.m884.com から。再転載も出典記載して下さい。 

しかし、私は不勉強にして知らなかったのだが、農業国なのに農地の塩害に苦しんでいるのを目の当たりにしてショックを受けた。 ソ連時代の無計画な灌漑が原因だという。アラル海に入る2本の川は灌漑に利用され、湖底は干上がった。岩塩の層が出来つつあるような状態なので塩分混じりの砂が飛散するのだ。日本も協力して塩抜きの対策中だが先は長い。

 
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 jiid.or.jpより 塩で覆われたコムギ圃場。バスで移動中も至る所で雪の降り始めのように白いものが浮いた畑を目にした。
 
 
 


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付加体 [地形・地質]

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 2015年1月三浦半島を探訪する。海岸の岩の押し寄せたような傾きから、プレートに押し上げられて、しわしわになった地形なのかと想像する。それにしても「付加体」とは学術用語だから仕方がないが、無粋な言葉だ。

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geocitys.jpより 半島全体がしわしわなのだ。断層帯がいくつか見える。

 

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産業技術総合研究所HPより

でも、海洋プレートが大陸の下に潜り込むときに取り残された堆積物が付加体なら、日本列島はかつて大陸の端っこだったのだから、全部が付加体かもしれない? 

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 上野の科学博物館にはプレートの潜り込み部や火山周辺で調査された岩石サンプルも示されている。

 


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