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「千川上水」銘のマンホール蓋 [川・川跡]

千川上水 歴史・写真・探訪(by武蔵大学、旧高校)このサイトにお世話になった。


この当時に確認された、「千川上水」の文字が刻まれたマンホールの蓋は、板橋駅東側の四角いのが二組、滝野川6丁目と7丁目の境の道に丸いのが二つであった。

ところがである、武蔵大学の目の前に新たに設置されているではないか!

Bright_Futa.jpg

舗装ブロックの設置前なので、工事の目印の白線が朝日の光芒となって輝いている。デザインは3分割で、イチョウ、メダカ、ソメイヨシノのタイプである。
千川上水蓋.jpg
場所は、千川通りと環七の交差するポイント、環七通り・桜台陸橋の下になる。「千川上水」を刻したマンホール蓋としては最上流になる。
千川上水・拡大.jpg
「千川上水」の拡大
この記事をアップして数日後、同型マンホール蓋が増えているのを発見した。都バス武蔵大学前停留所、ギャラリー古藤前など、合計6か所である。武蔵大学前の千川通りは改修中である(2018年8月)。歩道もきれいなレンガになった。マンホール蓋も新しいのに入れ替えているようである。
そこで、同様の蓋が無いか、改めて歩いてみた。その結果、①東京メトロ有楽町線・千川駅北東、
千川駅.jpg
東京メトロ・千川駅の北東。要町通りを挟んで道が二本見えるが、向かって左が千川上水だった。
②板橋高校南、③板橋一中北、④⑤税務署北付近に二つを新たに確認した。私が見落としていただけかもしれない。そして、以前からあった板橋駅の線路東際の二組の四角の蓋、滝野川6丁目、7丁目の境、最下流は分配石碑とセットになった円形の蓋、これらは模様の角が取れてツルツルになっているものの健在(当たり前!)だった。
分配堰.jpg
千川上水分配石碑とセットになったマンホール、「千川上水」と刻した蓋では最下流だ。

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江戸の上水 [川・川跡]

千川上水の「追っかけ」をしてきたが、お終いにした。残るは下谷方面だが、湯島聖堂辺りから本郷通東方向を見ると、きれいな下り坂である。これなら給水は楽勝だろう。


千川上水は玉川上水の分水の一つである。上水が人々の暮らしとどう関わっていたのかを見ると容易な話ではない。上水の水を汲み上げる井戸にしても定期的に浚わなければならないし、木樋の寿命などを考えても水道の維持・管理は大変である。さらに、権利なども絡み水銭徴収もややこしい。玉川上水の取水量増加により、本家の多摩川の水が激減して、そちらとの調整も必要になったともいう。

井戸_堀越c1.jpg
江戸六上水の給水図、堀越正雄「日本の上水」の図に着色
ここで、江戸の上水の全体像を俯瞰するのに、先達の著書の目次を引用させて頂くのが早道だろう。
堀越正雄「日本O上水(増補改訂)」新人物往来社 1995.6.5 第三章江戸の水 目次です。
一 神田上水の布設
二 玉川上水開設
三 明暦大火後の江戸の拡張と四上水開設
四 青山・亀有・三田・千川四上水の廃止
五 上水の構造と給水方法
六 玉川上水の分水と新田開発
七 上水管理の沿革
八 上水料金の制度
九 明治維新後の上水管理と廃止事情
その他の参考にした書籍:
上野の杜事典編集会議編集「上野のお山を読む 上野の杜事典」谷根千工房 1995.9.10
古泉 弘「江戸を掘る-近世都市考古学への招待」柏書房 1983.9.10
堀越正雄「井戸と水道の話」論創社 1981.2.10
小坂克信「武蔵野台地南部の水利用の歴史」とうきゅう環境浄化財団 2006.2.13



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